対人恐怖、社会不安障害と重なる部分もあると思いますので、そのときはこちら→『対人恐怖克服の体験談。視線恐怖症・脇見恐怖症・赤面症・身体醜形障害・自己臭恐怖症の治し方』
会議、プレゼンテーション、発表、スピーチ…社会人でも学生でも避けて通れないものですよね!?
ここで極度の苦手意識を持ってしまうと、一生を棒に振ってしまう恐れがあります。
実際にあがり症で逃げ続けるしかなく、自分本来の能力や資質を活かすことができない悔しさや憤りをどこにぶつけてもいいかわからないまま、時間と心の健康を残っている人は多くいます。
人は心と感情があるから、失敗が許されない場面や、どうしてもうまくやらなくてはいけない場面、そしてよく思われようとすると必ずあがります。
緊張してしまいます。
でもあがり症が発症し、時間とともに並じゃない苦しみに変わり、、仕事や様々な夢や目標、日常生活さえ支障をきたしてしまうほど、当人の心に深い影を落とします。
あがり症とただのたんなる「あがり・緊張」の違いは、当人がその後もずっと引っ張って思い悩んでしまうかどうかかもしれません。
みんな「あがり」ますが、あがり症ではありません。
あがり症の人は、無意識や脳内からして、そうなってしまう病的なメカニズムが組み込まれています。
そしてそれは自力解決は不可能だと思っていいです。
普通に暮らせる人は、その場面場面では一時的に緊張したりあがったりするかもしれない。
でも常にあがることを考えていないだろうし(予期不安がない)、自分のことを考えてみても、あがり症を克服してからはその通りだと思います。
予期不安とは無縁になりましたし、いつか直面するであろう危機的状況について、身構えたり不安に思ったりもしません。
だから、、緊張して失敗はあっても、その次に病的思考が寄ってくるほど引っ張りはしません。
例えば会議だったら、経験と回数を重ねるごとにあがらなくなって、自分を出せるようになる。
場慣れがあがり症克服一番の特効薬となってくれます。
でも、あがり症の人は病的思考に陥り、失敗とあがりの経験と回数ばかりが積み重なって、すっかりあがり症が「できあがって」しまうんだろうと思います。
会議の前日は生きた心地がしなくなるほど追い詰められてしまいます。
あがる場面じゃなかったら、理性や頭も働きます。でもあがり症に陥ったら最後、一種のパニック状態です。
頭が真っ白になり、何も考えられなくなる。
汗がダラダラと出て、心臓の動悸が異常に脈打ちます。
息苦しくなり、フラフラとなってしまい、冷静さのかけらもありません。
脚はガクガク震えて、声も震えてしまう。
冷や汗、背筋が凍る経験、こうなってしまうと、もう冷静な対応なんて不可能です。
どんなに完璧にシミュレーションをして、場に望んでも無残な結果に終わってしまいます。
これは僕が経験していたことです。
完璧さがカケラもなくなり、自分のあがりの凄まじさにぎょっとしてしまうのです。
一度の失敗で、人に笑われたり、からかわれたり、無言の失笑をされたり、心配そうに見られたり、恥をかいたりしたら、もはや次は恐怖でたまらなくなります。
繰り返したくない、笑われたくない、なめられたくない、変に思われたくない。
そんな心からの願いも、有無を言わせないあがり症は無慈悲に粉々に壊します。
それらの不安の感情が極度の緊張の起爆剤となってしまうからです。
どれだけ大勢の人があがり症でやりがいや青春、仕事、生き様を犠牲にしているんだろう。
ちょっと人より緊張してあがってしまうだけなのに、生きている事自体苦痛になってしまいます。
常にあがる場面を避ける、これも本当に嫌なものです。
以下は僕の経験です。思考や体験を書き連ねてみました。
人前で話をしようと思うと緊張する。緊張が繰り返し続いていく。
人間である以上、「うまくやりたい、よくやりたい、できれば皆から、素晴らしい奴だ」と思われたい。
それを反対に意識すればするほど、プライドもあるし、絶対に恥をかけないわけだから心に力みが入る。
体にも同じように、反射的に力が入る。
最初は表情がこわばり、やがて口の周りに力が入る。
進行するにつれて、のどの周りに力が入る。
周りの締めつけ感、言葉がつかえたり、どもったり、力んだりするから、なんとかそれを避けようと必死になる。
だから、人前や改まった場所、逃げ場がない状況(まあ会議とか授業での発表、電話などですね)で緊張も異常に増幅してしまう。
どんどん緊張と焦りとあがり症が加速すると、言葉も出なくなり、頭も真っ白になり、何を話そうかと思っても、いわゆるパニック状態になってしまう。
非常に息苦しくなり、ぶっ倒れそうになるし、脚は異常にガクガク震える始末。
このままじゃ人から何を言われたり、笑いものにされたりする可能性がある。
だから何とか話そうと思う。
僕を含め、人によっては腕や体にまで震えが来てしまう。
地獄の過緊張の時間が終わったとしても、落ち込みや次回のあがり、緊張への恐怖が異様に高まる。
一度の失敗が、さらなる二度目の大失敗を生み出して、それは止まることを知らなかった。
そうなると、話すこと・あがり症を前から考えるようになる。
どうやってうまく話そうか、あがらないようにするにはどうしたらいいんだ?
どうしたら変に思われずに切り抜けられるか!
声が震えたり、どもったり、つっかえたりしたらどうしよう。
それを指摘されたら恐怖だ。生きていけないほど心にダメージを負ってしまう。
数日前からあんな場面(会議・発表・改まって人と話をする場面など)でこんな風に話をすることになると考えると、うまくできない自分だけが浮かぶ。
どう考えてもあがってしまう。自信が全くない。
だから更にどうしようと対策をとろうとするけれど、方法すらない。
本を読もう! ヒントがあるはず! それであがり症の克服がなせるなら苦労はしなかった。
結局、あがり症克服のための話し方教室に通ったり、催眠療法とか抗不安剤を飲んで心を落ち着かせようとする。
森田療法もしたことがある。
でも、そのあがりそうな苦手な場面が近づくにつれて、日ごとに余裕がなくなっていく。
学校だったり、仕事だったり、何かの集まりだったり……。
そんなあがり症の体験をしてしまうと常に心を苦しめてしまう。どうしても!
いつも自分の頭の中じゃ、これさえなければすべてがうまくいくのに、という思考にとらわれた。ますますとらわれるのは当然のごとく。
このハンデさえなければ、自分は何もかも問題ないし、うまくいくのに。
どうして自分だけが……人がうらやましくてたまらない。
いつも身構えて、避けつづけて、それでも一生懸命頑張って克服しようとするけれど、うまくいかない。
他人と比較したら、自分がすごくみすぼらしく思えてしまう。
あがり症への弱気が、すべての自分への嫌悪感増加と自信の喪失につながっていく。
人前で「話す」という行為は、社会生活において最低限の行為です。
だからそこに弱点を持ってしまうと、社会生活を送ることがコンプレックスの連続になってしまう。
いかに避けようかと練りに練って頭と心が疲れてしまう。
ずっと悩んだままだと、何もなくても落ち込みが続いていき、しまいにはうつ病になったりもしてしまう。
どうしても人並みに話したいけれどできない。
だからよけいうまく話そうと頑張る。
でもうまくいきっこない。
実際失敗してしまう。
攻めの姿勢をとれなくなる。
いつも逃げと守りの人生を生きなければならない。
だからよけい劣等感と自信喪失を吸い寄せる。
しかしいつまでも殻にこもっていても何も解決しないし、始まらない。だからいっそうジレンマに入る。
あがり症による僕の社会生活と日常生活と学校生活の犠牲は計り知れなかった。
もがいても劣等感を日々強くしてしまうだけで、行動力が制限されてしまう。
他を普通にこなせていても、肝心の発表・発言・会議で足をすくわれてしまうと思うと、元気もなくなってしまう。
これがあるばっかりに、人と交渉することを避けたりして業績が上がらなくなる。
自分の力は本当はもっとあるはずなのに、あがり症のせいで、すべてが無になってしまう。
自分に他に心の弱点があってもいい。
だけどあがり症と話し方の弱点だけはあってほしくなかった。
よりによってこんな悩みに陥るなんて・・・
いつまでたっても堂々巡りで、いつの間にか悪循環の渦の中に吸い込まれて溺れあがいているような感じでした。
いくら話し方教室や本で話す技術を学んでも、完全のエンジンたる心がついてこないから役に立たない。
結局、心の底(無意識)が問題だったりする。
ならばということで、みなが絶賛している岩波先生の門を叩いてみた。
とても話がうまい先生で、それ以上に心の底から揺るがない芯が一本通っていた。
それは自信だったり信念だったり、覚悟だったりするんだろう。
それがあるから、ものすごく話もおもしろいし、人の心を初対面でもつかんでしまう。
話し方の「武器」としての技術が身に付くし、そのための根本的な心のベースを変えてくれた(僕も変えたい! 変えよう!と思ったし努力したことは当然でしたが)。
話し方の技術だけではなく、会話や人前で発言する際の心の持ちようも教わった。
緊張にのまれてしまう思考になっている自分に気づいた。
あがり症に陥ってしまう無意識の問題と原因も悟れた。
逆に緊張を飲み込んでしまう思考とは何なのかも知ることができた。
一番大事なのは、無意識からあがり症を治せる技術を持つということ。
これだけ頑張ってもあがり症を克服できなかったのは、すべて無意識に原因がある。
無意識はいくら普通の意識を強くしても届かないところにある。
過度にあがるのも緊張するのも、すべて無意識が起こさせる。
交感神経も自分でコントロール出来ない神経だから、勝手に暴走してしまう。
あがり症とは、無意識と交感神経の暴発だ。
暴発し狂ってしまった無意識と交感神経をなだめてくれ、心の底を洗ってくれる技術によって、そしてあがらない暗示を入れたことによって、僕はあがり症とはおさらばできた。
あがり症には必ず環境とか原因とか心の傷が関係しています。
だからまずはそこを分析して、あがり症になってしまったルーツを探し出すべきだと思います。
探すというよりあぶり出すという感じかな。
あれほど弱点と障害になっていたあがり症とおさらばできるなんて思いもしませんでしたが、弱点だったからこそ、心が執着してあがり症になってしまったわけです。
弱点への執着がなくなったことはすごく楽だし、俄然やる気と元気も出てきます。
会議、発表への予期不安にさいなまれることもないし。
悪循環の渦の中で必死で努力してもがき苦しむより、好循環のサイクルに入れるよう頑張りましょう!!
発言や会話は武器でもあります。
自分を周りに認めさせられる武器です。
今まで自爆していたものを、逆に武器として身につけられるようになりました。
すべては無意識からのあがり症克服が鍵です。
無意識を処理しないまま、あがり症が治ることはないと思います。
あがり症は自分との戦いにつきます。いくら話し方を鍛えても、それは表面的対策。
一番大事なのは、あがってしまう自分を打ち破ることです。
その方法は、無意識から解決する方法と技術のお世話になることでした。
会社に勤めていると、いつか必ずあがり症である自分の弱点をさらされてしまう場面がやってきます。
その都度、避け続けても、またその場面がやってきます。
そのまま逃げ続けた時、おそらく社会人として底辺で生きなくてはいけなくなります。
転職をしたり、役職から逃げていると追い詰められていきます。
あがり症からの逃避の行き着く先は、一番なりたくない自分になっていることでもあります。
そんなことはプライドが許さなかったし、とにかくこの憎ったらしいあがり症を打ち破りたかった。
自由になりたかった!
人から笑われたり、後ろ指をさされたり、冷笑される人生はもうたくさんでした!
それが嫌だったため、僕は必死で努力しましたが、結果は芳しく無く、やっと最後に先生の技術に出会うことができました。
今ではあがりたくてもあがらない人間になっています。
僕の中にカッコとした強さと揺るぎなさを感じます。
あがり症は必ず治る症状です。
正しいことをしていけば、自分自身の問題なのだから、克服できないわけがありません!
おしまい
あがり症や話し方でのトラブル・会議・発表についての相談メール
岩波先生の心理プログラムについての相談はこちら
メールを送る際に
どういうあがり症で苦しんでいるのか、どれくらいの苦しみか、そのおかげで犠牲にしてしまっていること、年齢、性別などを教えてください。
FAQに目を通してからメールしていただきますとうれしいです。
秘密は厳守しますのでお気軽に送って下さい。
岩波先生のプログラムにとても興味があり受けたいけれど迷っている方の相談ものっています。力になります!
いわ
特にあがり症や話し方のトラブル(会議・発表・発言等)、会話術向上に関連したサイトを集めてみました
ほかの関連するサイトをご存じの方はご一報ください
神経症克服プログラムの経験談と人間関係スキルアップ |
|
カイの話し方・緊張解消教室(あがり症・手の震え・声の震え・緊張による話し方の悩み) (FRIENDS MEMBER) |
|
変わることを恐れない コミュニケーション能力不足からの大逆転 |
|
あがり症は治るのだ! 緊張・手汗・多汗症なんて飛んでけー |
|
Dream Art Laboratory あがり症克服プログラム 克服体験記 岩波先生神経症・あがり症克服プログラム体験記紹介サイト 神経症・あがり症克服体験記 まとめサイト(姉妹サイト) |
|
あがり症や話し方の弱点は必ず克服できる! マインドアート・フレンズ トップページ
┃よくある質問FAQ┃うつ病┃対人恐怖┃パニック障害┃強迫神経症┃鬼才先生の紹介┃あがり症体験記克服体験談┃サイトマップ┃