私(ヤマダ)のうつ病克服体験日記 3冊目

岩波先生の心理・脳内プログラムに通うにつれて、 不安に襲われたり寛解したり紆余曲折を経ながらも、中期的に見れば落ち込んでいない私になっていた。
私が一番驚いた。最初の兆候は夜眠ることができるようになったこと。中途覚醒も早朝覚醒もなくなった。
不眠症克服が最初だったと思う。不眠症からうつ病が始まったわけだから、不眠症から治るのが筋なのかもしれない。
理屈の上で完全に納得していた自分が、無意識からも受け入れはじめていた。
死にたいと想っていた気持ちなんか、もう想像がつかなくなった。
私でも生きられるんだという安堵感から、次第に生きてもいいんだ、生きてやるぞという風に変わった。
自殺未遂までした自分が、なにか他人に思えた。あの時は何でそこまで思い詰めてしまったのか。
薬の副作用なのかうつ病の希死念慮によるものだったのかわからない。
そして落ち込みのどん底にいたころが、霧の中の出来事に思える。
あの異常な鬱状態って何だっけと思った。
もちろん不安や落ち込むといった感情はわかりますが、どん底まで落ちるようなうつ病の症状とはほど遠くなった。
倦怠感、将来への不安、自殺願望、様々な心身症の症状、どうしようもない気分の落ち込みなどなど思い出したくても思い出せなかった。
うつ病の状態だったときには、元気って何だっけ? やる気って何? 普通って何? あるがままってどういうこと? と霞がかかった状態だったのに。
人間っておかしなもので、あれだけ苦しんでいたことも、楽になると、あの嫌な感覚が遠ざかってしまう(その逆も言える)
私の脳みそのホルモン物質まで犯していたストレスや幼児期からの抑圧が解放されていったら、まったく世界が違ってきた。
私の本来のあるべき世界にやっと戻れた。
根本から解決していくやり方は正しかった。

抗うつ剤減薬についてだが、慎重に慎重に減らしていったが、薬の反動があまりなくすんだのは幸いだった。
もともと薬に幻滅していたし、効かない体だったからかもしれない。
そんな私でも急な減薬だったら、体に負担が来ていたと思う。
本当にゆっくりと焦らず、今まで服用していたことを慈しむように減らしていった(その気持ちの方が減らそう!と焦るよりよっぽど良かった)。
抗うつ剤に合わない体質が逆に良かったと思う。心も身体も薬を求めていなかったのだ。
抗うつ剤に依存したくない気持ちもプラスになったのかもしれない。

トラウマ破壊のためのルーツ分析のCD(現在はやっていません。家で一人でやることをせず、通った時トランス状態でルーツ処理をしていきます)を聞き込んでいた最初は顔をしかめることばかりだった。
でも、私自身の過去を客観視できるようになると、父親についても冷静に振り返られる。
仕事もきつかったよな、人間関係でもトラブルがあったな、ストレスを溜める人生だったよな、一生懸命自分を追いつめて努力してしまう性格だったな、
すべてが客観的に振り返られるように。
こうなってくると、うつ病になって当然だったんだなと素直に受け入れられるようになる。
だいぶ気分に余裕が生まれてきて、 逆にやってやる、と言う気持ちがわいてくる。
だいたいトラウマ処理の進展はこういう具合になっていくらしい。
最初は辛いことで落ち込むかもしれないけれど、必死で過去を見ないようにしてもうつ病になっているんだから、原因のトラウマ処理をした方がはるかに健康的だと私は思う。
ルーツ分析・整理の作業の進展を報告すると、いい状態だ、と先生は言った。
ほっとしたり、やる気が逆にわいてくるのはいい証拠だよ、と。
前はあんなに聞くのも憂鬱だったのに、かなり好転しているという実感だった。
やる気が出ている自分は何年ぶりだろう。
やる気と言っても、一瞬で消えるやる気ならプログラム中に何度も経験したが、今度は持続力がちょっと続いた。
昔はむりやりやる気を出して、結局つぶれてしまった。
でも、いまは自然のやる気が出ていた。それもだいぶ距離が伸びている。
前向きな時間がだんだん増えていった。
とはいえ、時々不安に襲われる時がある。
でもそれは今までが今までだったのだから、しょうがないこと。
不安は人にとってなくてはならないものだし、逆に歓迎する、という気持でいた。
決して無くそうと打ち消さなかった。そういう不安への対処法(こちらのどこかに書いてあります)を岩波先生から伝授されていたから、うつ病に戻ることはなかった。
気分がプラスマイナスに揺り動きながらも、マイナスになっても焦らずやっていったら、振り幅もプラスの多く触れるようになった。
あとリラックスできるようになったことは、ストレスにボロボロになった心にも体にもプラスになった。
そしてトランス状態のすてきな心地よさも心を洗われた。
それも自分で作り込めるようになったことは、先生の所に通う以外でも、私はやっていけるんだという証明だったから、うれしかった。
暗示もトランス状態の中で聞きまくった。

合宿プログラムがあるという(現在休止中)。
参加してみる? と岩波先生に言われた。
もちろん喜んで参加した。まだまだ気分が変調する時だったから、もっともっとやりこむ機会が欲しかったからだ。
うつ病改善が進んでいたから、希望を感じていたため、純粋にやる気に燃えて合宿に入った。
場所は大阪。新幹線のなか、通いとは違うし、密度が違うから、と言われていたので、楽しみだった。
10人近くで合宿をやった。
みな重い症状を抱えたり、私と同じようにうつ病の人もいた。中には神経症をほぼ治していて、さらに自分を強くするために参加している人もいた。
みんな悩み比べでは一番手であると自負している人ばかりだった。
私も負けないくらいの人生だったが、ルーツに対して、こだわりが氷解していたため、妙なプライドはなかった。
一週間だった。
朝から晩まで、徹底してプログラムをこなした。
みな先生が個別にルーツ整理や、その人のための暗示をCDに作ってきていた。
かなり大量で大変だったと思う。
私はさらにルーツ整理を徹底して、また先生ととことんまで話し合った。
通いだと話し合う時間が少ないからだ。
合宿はいってみれば24時間ある。
それに、あの深い感覚が忘れないうちに、さらに深い状態に導いてくれる。
それが加速度的に、倍乗でなるので、はるかに私の想像しているレベルを超えていた。
それを徹夜してやれば、私を支配していたマイナスの感情なんて崩壊する、と思った。
それがその通りになった。
2,3日目から一気に効果が出始めた。まだ4,5日まだあるのに。
みんなもがんばっていた。だから私も努力だけは絶対負けない、とがんばれた。
私の頑張りすぎる、完璧を求めすぎる要素が、ここではすべてうまい方向に進んでいた。
余裕のある頑張りといえばいいかもしれない。決して偏屈な健全主義的な頑張りじゃなかった。
逆に完全主義の考え方を捨てられない人のことを冷静に「あれじゃ、効率悪い考え方だな」と思えるくらいだった。
昔は余裕がないのに完全主義者で頑張りすぎる人間だったから、そういう認知の歪みを正すことはうつ病克服にとって重要になる。

中にはあっという間に問題が解決した人もいた。
その人はルーツがまだみんなより浅いと言う(というより単純なルーツと先生は言っていた)から、自分はもっとがんばらなくちゃいけない。
でも、確かな実感があった。私は絶対治る、これをやっていたら、必ず良くなると思っていた。
だから本当に気持ちが落ち着いて励んだ。
妙な焦りもなく、やることをやる、それだけだった。

思えば、このときにもう鬱状態とは完全におさらばしていたのだ。
治るときって、どんなものかな、と思っていたが、こういうことなんだな、とおもった
そっけないといえばそっけないけれども、じわじわとうれしかった。
一気に革命的に治る人もいるし、気がつけばそうなっている人もいるし、私は後者だ。
あとはじわじわ良くなっていく人もいるだろう。
みんなも他のところでは絶対、得られない、計り知れない価値を得ていた。

みんな劇的に症状に効果を得ていた。
人の希望を見ると、鬱の時は、むかついていた。そして落ち込んでいた。
でもいまは素直に喜べた。心から良かったと思った。
あらゆる人間のマイナスの感情は、結局マイナスの結果しか生み出さない。
でも、プラスの感情は、どんどんプラスを生み出していく。
なんて、人間はわかりやすい仕組みの中で生きてるのだろう。
なにか、哲学的な難問も簡単に思えた。
人生は単純明快でなくちゃいけないと結論を得た。
難しく考えるから悩むのだ。割り切りもなくなる。だから抑うつになる

本当に以前の私とはまったく変わっていた。
こんなに変われるんだ、と思う。強くなろうなろうと生きてきてうつ病になってしまった。
努力もしてきたし、そういう意味じゃ変な”強さ”は持っていたかもしれない。
だけど、 柔軟性に欠け、一線を越えると簡単に崩壊するような強さにすぎなかったんだろう。
いまは、柔軟性がすごくついた。単純に割り切れるようにもなった。強さも本当の意味でついてきた。
ものごとへのとらえ方、見方が歪んでいたのが正された。
晴れ晴れ健やかな精神状態だった。
難しいことを考えない脳みそって本当に楽だ。
あらゆるうつ病の苦しみ、落ちつかなさ、頭の重さ、マイナス思考の襲来が起きなくなっていた。
すっきり開放された頭になってみると、逆にどれだけ私がはまっていたのかおそろしい。
変わりたくて一生懸命努力した。強くなろうと完璧を目指して励んできた。
今までは努力が徒になってうつ病になってしまっていた。
でも、今度の努力は心地がいい。単純明快ですこやか。
本当に有意義なことに努力できたし、達成できた。
そして、いままでの入院や、心理療法、各種療法の経験は何だったんだろう。
もっとはやく、岩波先生に会っていれば、ヒロさんに会っていれば良かった、と思った。
でも、四十になっても、五十になっても苦しみ続けている人がいる。
そして今でも会社では休職、退職、そしていきなり自殺している人がたくさんいる。
カリスマ的とまでいえる岩波先生を知らないままでいると、15歳だろうが、20歳だろうが、未来と時間がある人たちも地獄だ。
このままずっと悩み続けていくのかもしれない。

私は鬱病がいかによくするかが難しいと思い知っている。
薬は対症療法だから、根本から解決することはない。
心の中を紛らわせているだけだ。しかも不自然な形で。
かなり重い薬を出す医者は、廃人を生み出しているにすぎない。
社会復帰はできなくなる。うつ病にかかったらまともな社会復帰は困難だといわれているのも、うつ病そのもののせいだけじゃなくて、薬との複合の産物ではなかろうか。
医者の治療がまずいと、かつての私のように入院するか、自宅に引きこもるしかない。それとてずっと苦しい。死にたい。消えてなくなりたい。
しかしそれでも支えてくれる家族がいる。その人たちのためにも死ねない。死にたいけれどぎりぎり踏みとどまらないといけない。
私が家族を支えないとみんなどうなるのか。それに一層苦しめられる。
そして自己嫌悪感....なぜ私と一緒になったのだろうと。
すべてのしがらみから解放されていたら、私は或いは”本気で”自殺していたかもしれない。
でも、この人間社会で私はうつ病になり、うつ病にされ、同じ社会でうつ病を支えてくれる人がいて、うつ病を克服させてくれる出会いもあった。
決して、人間として命を授かった以上、しがらみからは逃れられないと感じる。
苦しんだのも、死をギリギリで思いとどまったのも、苦しみから救われたのも、そのしがらみだった。
ならば、私自身が変わるしかないと言うことだ。
変わるってことは、根本から自分を変えていかなくてはいけない。
自分を変わらせずに表面的に対症療法的対策を取っていても、いつか限界が来るもの。
私はそれに気づいて良かった。

うつ病の人生の怖さは、楽しい感情、幸せの感情が味わえないまま、ただ苦しみつづけることにある。
経験した人じゃなきゃ絶対わからない。
外野から、ああしろ、こうしろ、ガンバレとか、どうこう言われたくない。
だけど生まれてきたからには楽しまなきゃいけない。たくさん感動して、なにかをやって結果を出して充実した人生を送るべき。
でも、それがしたくてもできない、いや、する気力すらわかないのは…地獄の苦しみだった。
だからこそ、道は結局一つしかなかった。
過去と訣別し、自分を根本から変えていく以外に。

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